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奥野美幸

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今日の儀式用品の歴史と沿革

      京水引のはじまり          
     水引の起こりは遠く飛鳥時代にさかのぼる。
     推古天皇の遣隋使が帰朝した際、隋の答礼使・裴世清(はいせいせい)が、来朝するに
     当たり  携えた貢ぎ物にかけられていた紅白に染めた麻紐が、水引の原型とされている。
     したがって、 水引は紐を結ぶという原型から考えると 今日まで千年以上の歴史を持つ
     ことになり、当時日本   に伝わった大陸文化の一つといえる。
     宮中への献上品や貴族間で紅白の麻をかける習慣は上記の時以来である。
     平安時代において、細長い紙に水を含ませ、強く撚りをかけ、これを乾かした紙縒りを
     「元結(もとい)」と呼び殿上人等が髪を結ぶのに用いていたが、連歌紙を綴ったり物を
     くくるために用いられるようになったり、進んでは、これを紅白に染めて進物用のくく
     り紐に使用されるようになった。このころから髪を結ぶ「元結」と水引は明確に区別さ
     れた。
    水引の語源にはいくつかあり、『水引は紙縒りに糊水を引く故に、水引の紙縒りという
     べきを略して水引とゆう』(安斎随筆)、また、『水引の本義は、古来綿糸なり、撚りの
     戻らぬよう水を引きてより合わせたり、この故に水引という』(柏永随筆)、或いは、
     『昔は糸に水を引き渡して用い或いは紙より真水に引きわたし紅など染めし故、しかと
     いえり』(類聚名物考)の他、古来より神仏へのお供え物に水を添える風習があり、水は
     すべての汚物を清めるとともに、水を引いた後はすがすがしく清らかになることから、
     清らかな品を贈る意味において「水引」と名付けられたとも伝えられている。
    水引の色は、赤白と白がはじめで、それに金地と赤色の紅があった。この赤という色は
     有職では紅花から取った色で、上品な赤い色をいった。これを公卿は緋といい  赤とは
     緋の少し濃い色であった。
     江戸末期に紅に艶紅といって玉虫の羽のような紅で青光を放つものが喜ばれ、戦前まで
     は広く使用されていたが、現在では皇室関係のみに用いられている。平城京から平安京
     の遷都に先駆けて、奈良から京都へ移転した八木善という水引店があった (現在も水引
     製造卸として存続)。
     八世紀末にはすでに京都で水引きの製造販売が行われていて、771年(奈良時代) に京都
     で製造した水引を宮中に納めていたという。宮中で使用されるのは「くれない水引」と
     称し玉虫色の水引で慶事や進物の際に用いられる。宮中以外では鎌倉時代に「折紙」の
     専門店で、「城殿(きどの)」という役目の人たちが水引きを多量に作り販売しはじめて
     から一般の贈答品に使われるようになった。江戸時代中期以降町人文化が栄え、町人の
     中に進物が一般化するにしたがって水引の装飾化が進んだ。
     しかし、水引を使用したのは、上級武士や裕福な商人など一部に人だけであった。
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結納と水引 わが国の結婚儀礼の起源は古代 「伊邪那岐(いざなぎ)」「伊邪那美(いざなみ)」の 二神が八尋殿の心の御柱を巡って、夫婦の契りを結ばれたことにあると伝えられている。   古くは妻求(まぎ)の旅といって、己にあった妻を求める旅に出た。心にかなう女性に会 えば、自ら直接に話し合い、或いはその両親に交渉し、女性の一家が用意すれば直ちに 女性の家で結婚の式を挙げた。夫は妻の家にしばらく同居した後、新居を建てて 妻と 同棲した。これを妻ごめといった。このように、古くは、男女は即座に結婚したので、 結納というような結婚の契約など必要としなかったのである。しかし 皇室などの貴族 社会に当たっては、家格・家門の維持のため、家の格式に合う娘が他家に生まれたとき には、早く貰い受ける契約の必要が起こり、結納という習わしが生まれたのである。  その起源は、仁徳天皇が后を向い入れる時に、贈り物をなされたことにあるといわれ、 これが結納儀式の始まりで「納采の儀」と呼ばれていた。「結納」という言葉は、 古くは「結の物」即ち共に飲食する酒と肴を意味する言葉とも、「云納(いい入れ)」と いって婚姻を申し込むという言葉から転じたものとも言われている。 今日の結納は、契約(結)を受けてください(納)という意味に捉えられ、地方によっては 古くから「たのみ」と呼んでいるところもある。  結納は、中国・朝鮮半島の風習がわが国に影響して起こったものであることは、上代か ら奈良時代にかけての中国・朝鮮半島の文化が伝来した頃に盛んに行われていたことで わかる。しかし、唐との国交が絶えた平安時代後期、藤原氏による摂関政治の頃には、 結納の風習はほとんど絶えている。武家政治を迎えた鎌倉時代の書物にも結納の記述は 見られない。ただ室町時代になると、外向(弓馬)内向(室内)の儀式・作法が小笠原流・ 伊勢流の霊堂に集大成され、伊勢流の書物の中には、『簾中旧記』『嫁入記』『よめむ かへの事』などが見え、武家婚礼の法式の基礎が作られた。久しく消滅していた結納は、 戦国時代の織田・豊臣の世代に至って、再び行われることになった。戦国乱雑のときに いわゆる弱肉強食の時代であって、当時の豪族は 互いに他の領国専取する隙を絶えず 窺っていた。何時他国から攻め込まれるか分からないという不安があり、少しでも多く 有力な武士と婚を交え、味方とし身の保全を固めようとする気運があった。婚姻を通じ て、自己の後ろ盾をつくり、万一の難を免れんとするのは人情の常である。このような 政略結婚が実現すれば、家が安泰になるので、有力な豪族間では競って婚約が結ばれ、 結納が取り交わされるようになった。婚約はいわば攻守同盟の手形と見るべきであった。  戦国時代以降復活した結納は、やがて江戸末期、武家社会から庶民へと普及し、平和な 時代となった今日まで受け継がれ、現在の結納の形をつくってきたのである。  一般的に紅井(くれない)水引は古くから今日まで使用されているが、明治天皇の大葬の 際には、双白・真白の水引が大量に使われ、大正天皇の御大典の折には五色水引が使わ れるなど、時代による宮中での水引の使われ方の変化が、民間の水引の変化に影響を及 ぼしてきた。京都では進物品にかけていた水引を折り、ひねり、結びして花や蝶などの 形を作り、祝事の進物品に添える習わしが生まれた。結納飾りの水引として水引細工が 一般に使われるようになったのは明治時代以降で、大正天皇のご成婚の儀をきっかけに 民間にも盛んとなった。
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現代の水引 明治維新によりさまざまな制限が取り除かれ、人々の暮らしが向上するに従って第二次 世界大戦前までに水引使用は一般の風習として定着した。昭和13年に7・7禁令により 金銀糸が使用禁止となり、贅沢品として西陣の織物に金銀糸の使用は出来なくなったが、 水引の金銀の製造は皇室令に基づいて許可されていた。戦時中にも金銀の水引は 製造 され一般向けにも製造販売されていた。これからも 如何に水引が儀式に必要なもので あり、大切に扱われていたかが窺える。戦後国民生活が洋風化する中、水引使用の風習 は衰えを見せず、かえってますます豪華さを競うようになってきた。「金封」「結納品」 といった水引製品の商品化は第二次世界大戦前後からのことで、それ以前は細工加工す る前の状態である生水引(なまみずひき)を消費者が購入し自らが結んでいた。昭和30年 代には、水引職人が携わってきた生水引製造の工程が機械化され 大量の生産が可能に なった。水引の歴史がもっとも長い京都だが、大正初期までは細工だけでなく、材料(こ より)つくりから行っていた。結納飾りも今のように艶やかなものではなく、極ささやか であった。時代が経過するにしたがって高まる需要に対し、人手不足・工賃高騰のため 商品の多くを長野・愛媛から購入し販売するようになった。 1994年(平成6年)に 京都府と提携して発行された 伝統産業シリーズ   皚『京の儀式用品』より、一部抜粋させて頂きました。資料提供戴いた 水引元結源田は、八木善源田の流れをくむ今尚存続する水引製造卸店です。
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